大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所 昭和40年(行ウ)5号 判決

長野県上田市愛宕町三九八七の五

原告

羽毛田実

右訴訟代理人弁護士

富森啓児

右訴訟復代理人弁護士

加藤浜太郎

被告

上田税務署長

室賓公徳

右指定代理人

光広龍夫

山口三夫

柏原光雄

鈴木輝雄

志村忠一

傘木実夫

小林繁治郎

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

一、申立

1  原告

被告か、原告に対し、昭和三八年一〇八五日付で、原告の昭和三七年分の所得税額を四万〇、二五〇円としてなした決定処分および無申告加算税額を四、〇〇〇円としてなした賦課決定処分をいずれも取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  被告

主文同音。

二、主張

(請求の原因)

1  原告は、昭和二七年から塗装業を営むものである。

2  被告は、昭和三八年一〇月五日付をもつて、原告の昭和三七年一月一日から同年一二月三一日まで)における課税標準額を四四万四、四七八円と認定し、所得税額を四万〇、二五〇円とする決定処分および無申告加算税額を四、〇〇〇円とする賦課決定処分をし、その旨原告に通知した(以下右両処分を本件各処分という。)。

3  そこで、原告は、被告に対し、同年一一月四日本件各処分に対し異議の申立をしたところ、同三九年九月一四日付で右異議を棄却するとの決定がなされ、その旨同月一六日通知されたので、同年一〇月一六日関東信越国税局長に対し審査請求をしたが、同四〇年三月二三日右審査請求を棄却するとの裁決がなされ、同年四月九日その旨原告に通知された。

4  しかし、本件各処分は、次の事由により違法であり、取消されるべきである。

(一) 課税対象となるべき所得がない。

原告は、病気のため、昭和三七年四月一日から同年六月二〇日まで入院治療を余儀なくされたほか、退院後も同年秋ごろまで、自宅で引続き安静療養中であつたため、充分な稼働ができず、これがため、同年中の事業収入(純益)は約二八万円に過ぎなかつた。

しかも、原告には、昭和三七年当時、扶養親族として、母(明治二八年生)、子三人(昭和三〇年生、三二年生、三七年八月生)、控除対象配偶者(妻)および事業に専従する親族(弟一人)があつたから、原告の同年の総所得金額から基礎控除のほか、それぞれ扶養控除、配偶者控除並びに事業専従者控除等昭和三七年当時施行の所得税法二六条所定の各控除をするときは、同条項にいう確定申告を要しないことは明らかであり、原告は同年度の所得に対し所得税を賦課されるいわれはない。

(二) 公権力の濫用

仮に、原告の昭和三七年度の所得が確定申告を要するものであつたとしても、課税所得金額は僅少で到底被告主張の如き多額のものでなかつた。しかして、被告が原告に対し本件各処分をするにつき、以下(1)、(2)に主張する如き事実が存するのであつて、これらのことは、原告の課税所得金額が僅少であつた事実と相俟つて、被告が、本件各処分をなすに当り公権力を濫用したものというべきであつて、本件各処分は取消を免れない。

(1) 原告は、昭和三七年度の確定申告にあたり、被告から申告書の送付がなかつたので、昭和三八年三月一五日上田税務署に出頭して申告書の交付を受け、所要事項を記入のうえ当該事務の受付席にいた福島滋隆、田口寛の両係官に右申告書を提出し、所得額が二八万円位であるとしてその概要を説明したところ、両係官から申告の必要がない旨申し渡され、右申告書を持帰つたものである。然るに、被告は、以上の経緯にもかかわらず、原告に対して突如本件各処分をもつて臨んだものであり、このことは、原告が上田民主商工会の一員として不当課税に反対する運動に従事していることに対する被告の威嚇ないし報復の措置であるといわざるをえない。

(2) およそ課税処分は、客観的且つ明確な根拠がある場合にのみなされるべきであり、従つて、課税処分後に、処分の基礎となつた所得原因を徹回、変更または追加するが如きことは許されるべきではない。然るに、被告は、本件各処分時に認定した所得原因の一部をその後別表五記載の売上について同表記載のように徹回したほか、本訴提起後の被告の調査により知りえたとして、新たな所得原因(別表二、番号42ないし50および60、61)を追加して主張しているのであつて、このことからしても、本件各処分が何らの根拠なくしてなされたものであることは明らかである。

(請求の原因に対する答弁)

請求の原因1項ないし3項の事実は、すべて認める。

同4項の事実中、原告が病気のため原告主張の期間入院治療を受けたこと、昭和三七年度の確定申告をした場合に認められる所得控除は、原告主張の母、子三人の各扶養控除、妻の配偶者控除および弟一人の事業専従者控除であることおよび被告が本件各処分時に認定した所得原因の一部をその後変更または徹回し、本訴提起後新たな所得原因を追加したことは認めるが、原告が退院後自宅で安静療養していたことは知らない。その余の事実はすべて否認する。

(被告の主張)

1  本件各処分は、次に述べるとおり、いずれも適法である。

即ち、原告の昭和三七年度の所得は、以下のとおり、被告が本件各処分時に認定した課税所得金額を越えるものである。

(一) 被告は、本件各処分時における調査段階においては、原告から調査の対象となる帳簿、証憑の呈示がなく、また、原告は収入の内容を詳らかにしなかつたので、やむなく、原告の取引金融機関(長野県商工信用組合上田支店等)の原告名義の当座預金口座(銀行備付帳簿)における金員の支出等をもとにして売上先を調査し、これによつて判明した取引のうち確実と認められる仕入金額を基礎にして、他の同業者の原価率によつて売上金額を算定し、一般経費については、他の同業者の経費率により算定し、特別経費である雇人費、借入金利子、地代家賃、減価償却費については、原告から聴取した額をそのまま認定し、右のようにして算定した売上金額から一般経費および特別経費を控除して所得金額を算定し、本件各処分をなしたものである。しかして、その後、被告は、更に正確な所得金額を確認するため、直接売上先に対する調査を遂げたところ、右処分当時認定した以外にかなり多額の売上のあることが判明し、その反面、前年度において売上をなし、翌昭和三七年度分に入金したものを売上に混入していたもの等が明らかとなつた。調査の結果明らかとなつた売上、必要経費、所得の詳細は、別表一ないし五記載のとおりであつて、その額は被告が本件各処分当時認定した所得を上まわることは明らかであるから、被告の右処分は適法なものである。

(二) 原告は、昭和三七年度の所得が二八万円程度であつたと主張するが、その所得金額を具体的に明らかにしないのみならず、〈1〉昭和三六年四月一〇日上田市四、〇〇一ノ一九所在の家屋(一二坪)を三二、三八坪に増築、〈2〉昭和三九年二月二九日に上田市三、九八三ノ九所在の家屋(一〇七、四三平方メートル)を新築、〈3〉同年三月六日宅地一二一坪を購入、〈4〉昭和四〇年一一月一一日宅地七八坪を購入 ている。しかるに、原告の所得状況は、昭和三五年分四〇万円(確定申告)、昭和三六年分四一万円(確定申告)、昭和三七年分二八万円(原告主張額)、昭和三八年分五三万二、八一〇円(更正処分)であり、このような所得の状況のもとで、家族七人が生活した上で前記に掲げるような資産の蓄積が可能であるとは到底考えられないのであつて、この点からみても、原告主張の所得金額二八万円がいかに不合理であるかは明らかである。

2  原告の公権力の濫用に関する主張は、以下に述べるとおりである。

(一) 原告は、昭和三八年三月一五日、上田税務署の窓口にて、係官から確定申告の必要がない旨申し渡されたので申告手続をしなかつたと主張するが、当日田口寛公使(小使い)は、納税相談の受付係であつて、納税相談に応じることはありえないし、福島滋隆係長は、当時一般的な指揮をしていたもので、個々の相談には応じていなかつたものである。

仮に、福島係長又は田口公使が原告と面接し、同入に対し申告の必要がない旨返答をしたとしても、それは、原告が説明した所得の概要どおりであるとすれば、当時施行の所得税法二六条により、申告書を提出する義務がないという趣旨のことを言つたにとどまるのであつて、原告が申告義務ある所得を有することが判明した以上、被告がその認定に基づいて原告に課税し、また原告を無申告者として取扱つて無申告加算税を課すことは当然の措置である。

(二) 原告は、本件各処分が、客観的且つ明確な根拠なくしてなされたものであると主張するが、本件各処分は、前項(一)の前段に述べたような経過でなされたのであるから、客観的且つ明確な根拠によるものであるといいうる。

また、原告は、本件各処分後に、処分の基礎となつた所得原因を徹回、変更し、または新たに追加することは許されないと主張するか、課税処分は、客観的、抽象的にはすでに定まつている租税債務を確認し、それを具体的に確定させるための一つの方法にすぎず、かつ、これまでの税法は、青色の申告を更正する場合における帳簿書類の調査、理由の附記などのほかには、課税庁が課税標準等を認定し、根拠処分を行なうにさいして一定の手続をとるべき旨の手続的な規制は設けていないから、課税庁の認定、計算した課税標準等または税額等が税法に違反しているかどうかわ、青色申告の更正の場合以外は、もつぱらそれが実際の課税標準等または正当な税額等を超えているかどうかによつて決定されるものであつて、実際の課税標準等または正当な税額当の認定根拠は単なる攻撃防禦の方法にすぎないと解されている。従つて、所得税の課税処分は、ある特定の年度分の所得税の課税標準等または所得税額等という単一の事実をその対象、とする処分であり、その理由ごとに処分の個数(同一性)を異にする性質のものではない。そして、課税処分かその内容(実体)において違法とされ、取消される原因となるのは、課税庁が認定、計算した課税標準等または税額等の数額(結論)が実際の課税標準等または正当な税額等を超えていること以外にはないから、課税処分がその内容において適法であることについては、課税庁は自己の認定、計算した課税標準等または税額等が実際の課税標準等を超えていないことを主張立証すれば足り、時機に遅れた攻撃防禦方法その他の法律上の要請に反しないかぎり、実際の課税標準等または正当な税額等がいくらであるかについての主張を変更することも許されてしかるべきである。

更に、事実上の面からみると、被告は、昭和三七年中における原告の個々の取引の内容を昭和四一年一月二六日付準備書面で明らかにしたところ、原告は、原告自身の取引に関してであるから十分知悉している筈であるにもかかわらず、売上の関係については、被告よりの書証の提出をまつて認否する(第四回準備手続調書参照)と述べ、さらに、売上金額については、その明細表と共にその総額についても現段階においては争い、追つて、具体的立証をまつてその認否を明らかにする(昭和四一年三月一三日付原告準備書面一項参照)と主張してただちに認否せず、あるいは、右売上金額の認否を九ケ所について訂正(昭和四一年一一月三〇日付原告準備書面一項、昭和四二年四月一九日付原告準備書面二項各参照)する等自己の取引についても迅速かつ明確な認否ができない程取引の確認が困難であることからみて、右取引に関して全くの第三者の立場にある課税庁においては、所得を完全に把握することができないことは当然のことであるから、本件のように原告の税務調査に対する協力がなく、しかも帳簿書類等の証憑が全くない場合には、本訴において所得の発生原因に関する主張を撤回、変更し、あるいは追加することを非難されるいわれは全くない。

(被告の主張に対する原告の答弁)

被告の主張(一)の事実中、別表一ないし四記載の事実に対する認否および原告の主張は、各表中原告の認否、主張の各欄記載のとおりである。

同1(二)の事実中、原告が被告の主張する家屋をそれぞれ増築した(但し、時期は昭和三〇年頃である)こと、その主張する土地を購入したこと、昭和三五年、三六年、三八年度の確定申告額又は更正処分額が、被告主張のとおりであることは認める。しかし、右増築または新築の費用は、営業収入によつたものでなく、不動産売却代金等を当てたものである。

三、証拠

1  原告

甲第一号証ないし第一二号証、第一三号証の一、二、第一四号証ないし第一九号証、第二〇号証の一ないし三を提出し、証人武田文雄、同中野喜太郎、同宮川一雄、同藤沢実、同羽毛田茂八、同飯島芳治、同小熊精三郎、同今井正文、同中島秀昭、同福島滋隆、同田口寛、同青木敏博、同吉崎浩太郎、同小林新太郎の各証言および原告本人尋問の結果を各援用し、乙第一号証、第六号証ないし第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証ないし第二〇号証、第二五号証、第二八号証の一、第二九号証の一、第三〇号証、第三一号証の各成立は知らないが、その余の乙号各証の成立はいずれも認めると述べた。

2  被告

乙第一号証、第二号証の一、二、第三号証、第四号証の一、二第五号証ないし第一一号証、第一二号証の一、二、第一三号証ないし第二〇号証、第二一号証の一ないし六、第二二号証ないし第二五号証、第二六号証の一ないし九、第二七号証および第二八号証の各一ないし六、第二九号証の一、二、第三〇号証ないし第三五号証を提出し、証人福島滋隆、同田口寛、同篠義一、同栗原三千男、同田中英男、同坂入策司、同松下正久、同丸山咲男、同高橋森、同小林昭次の各証言を援用し、甲第一二号証、第一三号証の一、二の成立は認めるが、その余の甲号各証の成立はいずれも知らないと述べた。

理由

一、請求原因1項ないし3項の事実は、当事者間に争いがない。

二、そこで、まず原告の昭和三七年度における課税対象となるべき所得の存否について判断するに、別表二の番号1ないし50欄記載の各売上が原告にあつたことについては当事者間に争いがないので、以下に順次争いのある同表の番号51ないし61欄記載の各売上について、その存否を検討する。

(一)  合資会社内藤組

証人篠義一の証言により真正に成立したものと認める乙第一号証、証人小熊精三郎の証言によると、合資会社内藤組は、土建業を営むもので、昭和三七年当時前後二、三年間にわたり原告との間に若干の取引があり、看板等の塗装を原告に依頼していたこと、右仕事に対する代金として、昭和三七年七月五日に、五、〇〇〇円、同年九月六日に四、〇〇〇円、同年一一月五日に六、三〇〇円の合計一万五、三〇〇円(このことについては当事者間に争いない。)がいずれも小切手で支払われ、それぞれその翌日に長野県商工信用組合上田支店の原告名義の当座預金口座に入金されていること、そのほかにも、同年五月三一日には、右当座預金口座に内藤組振出の約束手形をもつて五万五、〇〇〇円が入金されていることが認められる。

ところで、右証人小熊の証言によると、右五万五、〇〇〇円の約束手形は、内藤組が昭和三六年秋ごろ、原告の斡施で原告の知人から買受けた古材の代金を、原告が立替えて支払つていたので、その支払いとして交付したものであるというのであるが、右の如き立替金を半年以上も放置して置くということは、前記認定の当時の原告との取引の情況に照らし、にわかに肯認し難く、また同証人が証言に際し提出した帳簿写は、日付順に記載されている帳簿に、右五万五、〇〇〇円の支払いだけが、これより日付のおくれる他の取引による支払いの下欄に記載されている点に不自然さが看取され、これらの点を考慮すると同証人の右証言部分は信用することができない。そうすると、他に特段の事情の認められない以上、右五万五、〇〇〇円の約束手形による入金も、原告の営業上の取引によるものと推認すべきであつて、原告の内藤組に対する売上は、被告主張のとおり七万〇、三〇〇円であるというべきである。

(二)  有限会社山越モータース

被告は、一万七、五八五円の売上があつたと主張し、原告は、内金一万円は、山越モータースに対する資金の返済を受けたものであると抗争するので検討するに、右原告の主張事実については、これに副う証人中島秀昭の証言が存在するのみであり、右証言は、結局のところ、有限会社山越モータース(昭和三七年初頃商号を有限会社東信ホンダモータースと変更した。通称は上田ホンダモータース)が一万円を原告から時借りをしたというだけであつて、借用した日付、期間、借用の事情等については記憶がないというのであり、また、右一万円は、同社の金銭出納帳には借用金の返済と明示されているというのであるが、その帳簿は提出されていないのであるから、右証言の信憑性は極めて疑わしい。

却つて、前掲乙第一号証によると、昭和三七年五月二九日に、山越モータース振出の小切手で一万円か、前記長野県商工信用組合上田支店の原告の当座預金口座に入金されている事実を認めることができ、このことと、原告の山越モータースに対する売上のうち当事者間に争いのない七、五八五円ばいずれも小切手でもつて原告の右当座預金口座に入金されている事実が前掲乙第一号証により認められることを伴せ考えると、右一万円の入金も、原告の営業上の入金によるものと認めるのが相当であるから、原告の山越モータースに対する売上は、被告主張のごとく一万七、五八五円であるというべきである。

(三)  青木建設工業株式会社

被告は、五二万〇、六九〇円の売上があつたと主張し、原告は、内金三二万九、八六〇円の売上はあつたことを認め、その余の一九万〇、八三〇円(昭和三七年五月三一日に領収した八三〇円の合計額)については争うので検討する。

(1)  証人青木敏博の証言により真正に成立したものと認める乙第六号証、証人篠義一の証言により真正に成立したものと認める乙第二五号証、いずれも成立に争いのない乙第二六号証の一ないし九、第二七号証の一ないし六、証人青木敏博、同羽毛田茂八の各証言を総合すると、原告は、昭和三六年から三七年にかけて、青木建設工業株式会社施行の建築工事における塗装工事等を請負つていたか、右会社から昭和三七年五月三一日に美ケ原高原の白樺平観光ホテルの工事代金一五万二、七七五円の内金九万二、一〇〇円を、丸子警報器の工事代金二万四、一六〇円を値引きした代金二万四、一〇〇円を、塚田住宅の工事代金七万一、八二〇円を値引きした代金七万一、八〇〇円およびその他の雑工事代二、〇〇〇円の各支払を受けたこと、右白樺平観光ホテルの工事は、昭和三六年秋ころ着工したが、竣工予定の同年末には、積雪厳しい寒気などによつて工事は完了せず、翌三七年に持越して完了したものであり、丸子警報器、塚田住宅の各工事およびその他の雑工事も、同様に昭和三七年中にしたものであることが認められる。右事実は、右乙第二六号証の一ないし九、第二七号証の一ないし六によつて明らかなように昭和三六年における工事代金と、右各工事における代金との相違、例えば、ペンキ塗装代を例にとれば、昭和三六年においては、一坪当り三八〇円または四七〇円であるのに、右白樺平観光ホテルの工事代金においては一坪当り五五〇円であり、丸子警報器および塚田住宅のそれは、いずれも五〇〇円であることによつても裏付けられるものというべきであり、右認定に反する原告本人尋問の結果の一部は、右各証拠に照らし、信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  次に、昭和三七年八月三日に支払を受けた八三〇円の債権発生の時期について検討するに、右乙第六号証、証人青木敏博の証言によると、青木建設工業株式会社においては、通常下請工事代金の支払いは、請求書を提出して請求された後になされ、しかも、請求は、工事完了後、極めて短期間のうちになされているのが通例であることが認められるから、右八三〇円の支払いも昭和三七年中における工事代金の支払いと推認することができる。

(3)  そうすると、右合計一九万〇、八三〇円は、いずれも昭和三七年中に原告の施行した工事により発生した債権に対する支払い(売上)ということができるから、当時者間に争いのない三二万九、八六〇円をこれに合算すると、原告の青木工業株式会社に対する売上は、被告主張のとおり五二万〇、六九〇円であるということができる。

(四)  有限会社吉崎酒店

被告は、一八万九、六八〇円の売上があつたと主張し、原告は、内金八万四、一八〇円については売上があつたことを認め、その余の一〇万五、五〇〇円(昭和三七年一二月三一日に領収した五万三、〇〇〇円および昭和三八年一月三一日領収した五万二、五〇〇円)については争うので検討する。

証人吉崎浩太郎の証言により真正に成立したものと認める乙第七号証、証人篠義一の証言により真正に成立したものと認める乙第二八号証の一、成立に争いのない乙第二八号証の二ないし六、証人吉崎浩太郎、同栗原三千男の各証言および原告本人尋問の結果を総合すると、有限会社吉崎酒店は、昭和三七年九月ころから翌三八年三月ころにかけて行なわれた上田市の都市計画による道路拡張工事のため、同店の店舗を改修するに際し、原告にその看板等塗装関係の工事を依頼したこと、これに対し、原告から、同年一一月二六日、右工事代金を総額一七万三、七二五円とする見積書をもかねた請求書(各看板等を利用するメーカーに対し、右酒店が予め広告料を請求する便宜のため)が交付されたこと、そして、その後三回に分割して、工事完成の度合に応じて同年一二月二四日に七万円、同月三一日に五万三、五〇〇円、昭和三八年一月三一日に五万二、五〇〇万円が支払われた(右支払代金の内には、既に工事を完了したが、未払になつていた吉崎酒店経営のバー田園のガラス代金二、五〇〇円が含まれている)ことを認めることができるから、最後に支払われた五万二、五〇〇円は、昭和三七年度の売上として計上することは許されないものである。尤も、そうすると、右請求書(乙第二八号証の二)の工事代金請求書たる性格には反するかに思われるが、それが同時に、見積書たる性格をも兼ね備えた書面であることは右にみたとおりであり、また、これに対する支払が、三回に分割してなされている理由を首肯せしめるに足る特段の事情が認められない以上、かく解さざるを得ず、右認定に反する部分の乙第二八号証の一および証人栗原三千男、同坂入策司の各証言は信用しない。

そうすると、昭和三七年度における売上として争いのあるものとしては、昭和三七年一二月三一日に支払われた五万三、五〇〇円のみとなり、その内被告の主張する五万三、〇〇〇円の限度においてこれを認めると、原告の昭和三七年度における有限会社吉崎酒店に対する売上は、一三万七、一八〇円となるというべきである。

(五)  小林新太郎

被告は、五、〇〇〇円の売上があつたと主張し、原告は全面的に争うので検討するに、前掲乙第一号証によると、昭和三七年一一月三〇日、小林新太郎振出の小切手で、五、〇〇〇円が原告の前記当座預金口座に入金されていることが認められるが、証人小林新太郎の証言によると、小林は、原告とは同業者であつて、原告と小林との間には全く取引関係がないことが認められ、かえつて、昭和三七年当時右両名が共に加入していた無尽において、小林が小切手でその掛金五、〇〇〇円を支払つたこともあるとの事実を認めることができるから、右小切手による入金の事実をもつて、原告の営業上の売上と認めることはできないというべきである。

(六)  木村義雄

被告は、五万円の売上があつたと主張し、原告は、全額争うので検討するに、前掲乙第一号証によると、昭和三七年五月七日、木村義雄を支払人とする為替手形をもつて、五万円が、原告の前記当座預金口座に入金されていることが認められるところ、前述したところから明らかなように、右乙第一号証に記載せられている小切手等による入金は、原告の営業上の取引に基くものが多く、一般に、当座預金口座が、営業上の取引の決済手段として広く利用されているものであるところからすると、特段の事情のないかぎり、右木村(因に、同人は、当時三ツ星サイダーの名称で清涼飲料の製造販売、パチンコ店経営等をしていた。)からの入金も、原告の営業上の売上であると推定することが許されるものというべきである。そして、これに反する証人今井正文の証言および原告本人尋問の結果は、今井正文か、木村義雄に土地を売り、その代金を手形でもらつたので、原告に手形を交付したというのであるが、右事実を裏付けるに足る証拠はなく、また右今井から原告に対する手形の交付を裏付ける事情となる原告と今井との関係等については、両供述は全く異り、且つ曖昧であるから、右両供述には、いずれにもにわかに信を措き難い。

(七)  柳沢建太郎

原告は、三万五、〇〇〇円の売上があつた旨の被告の主張を争うので検討するに、前掲乙第一号証によると、昭和三七年九月一一日右柳沢振出の小切手で三万五、〇〇〇円が原告の前記当座預金口座に入金されている事実を認めることができるが、原告本人尋問の結果によれば、原告は、柳沢なる人は知らず、取引もなく、誰かが小切手をもつてきたので現金化してやつたものであると供述し、右小切手を持参したのが今井正文であつたかのようにいうが、前掲証人今井正文の証言中には、右に副うところはなく、また、小規模な塗装業を営んでいる原告が、他に小切手等の割引きに応じていたと認めうる証拠はないから、右原告本人尋問の結果は信用しがたい。

そうすると、他に特段の反証のない以上、右三万五、〇〇〇円も、原告の営業による入金と認めるのが相当である。

(八)  上田ホンダ販売株式会社

被告は、一万六、一〇〇円の売上があつたと主張し、原告は、右事実を争うので検討するに、いずれも証人篠義一の証言により真正に成立したものと認める乙第一〇号証および第三号証ならびに証人坂入策司の証言によると、上田ホンダ販売株式会社は、昭和三七年一月一二日および同年七月二五日の二回にわたり、原告に対し、車両の板金塗装の仕事を依頼し、その代金として、一、一〇〇円および一万五、〇〇〇円をそれぞれ支払つたことを認めることができる。

原告は、その本人尋問において、右板金塗装は、知人を同社に紹介したにすぎず、原告自身が行なつた仕事ではない旨供述するが、右知人の氏名すら挙げていないのみならず、却つて同社の仕事に関与したことを認める趣旨の供述をしているのであるから、右本人尋問の結果は到底信用することができない。

よつて、原告の上田ホンダ販売株式会社に対する売上は、被告主張のごとく一万六、一〇〇円であつたというべきである。

(九)  丸山咲男

被告は、二万七、〇〇〇円の売上があつたと主張するが、証人丸山咲男の証言および原告本人尋問の結果によると、原告は、丸山咲男とは昭和三八年ころから取引を始めたもので、同人の営業する旅館丸山荘の改築工事が一段落した後に、看板を製作したことがあることを認めることが、できるが時期はいずれにしても昭和三八年以降のことであることが認められ、被告の右主張は、採用できないし、右認定に反する証人田中英男の証言は、信用することができない。

(十)  有限会社菅清園

成立に争いのない乙第二九号証の二および証人篠義一の証言により真正に成立したものと認める乙第二九号証の一によると、原告は、有限会社菅清園(菅平高原所在)から、昭和三七年二月八日、布看板代として、二、五〇〇円の支払いを受けたことを認めることができるが、右支払いにかかわ仕事がいつ行なわれ、右債権がいつ発生したかを立証するに足りる証拠はない。却つて、それが昭和三六年中に行なつた仕事の代金であるとの原告本人尋問の結果は、右領収の日が二月八日という前年度に比較的近接した時期であり、また菅清園の所在地が菅平であつて、冬期においては積雪の多い土地であることが顕著であることに照らすと、一概に排斥し難いものがあるから、右二、五〇〇円の代金債権か、昭和三七年に発生したものと断定するには躊躇せざるを得ず、右入金をもつて昭和三七年度の売上とみることはできない。

(十一)  その他

被告は、以上の他に、取引先不明ではあるが、原告の営業による所得とみられるものが、一万二、五八〇円と一万九、六〇〇円の二口あると主張し、証人篠義一の証言により真正に成立したものと認める乙第三一号証によると、上田信用金庫本店保管の伝票には、振出人不明の小切手二通(額面金額一万九、六〇〇円と一万二、五八〇円のもの)が、同金庫の原告の当座預金口座に入金されていることを示すものがあることが認められるから、格別の反証のない限り、右入金は、原告の営業上の売上によるものと推認すべきこと、前記説示の場合と同断であるというべきであり、従つて、原告は、他に取引先不明の者に対し、合計三万二、一八〇円の売上があつたというべきである。

(十二)  以上検討したところから明らかなように、原告の昭和三七年度における売上金額は、二五二万三、〇〇九円であるということができる。

三  次に、進んで必要経費について判断する。

1  仕入

別表三記載の仕入内訳の内番号1ないし14欄記載の仕入については当時者間に争いのないところであるが、原告は、右の外に、飯島硝子店からの仕入として八万九、〇〇〇円があると主張する。そして、証人飯島芳治の証言および同証言により成立を認めうる甲第六号証によれば、飯島は、昭和三六年頃から、飯島硝子店の名称で硝子販売業を営んでいる者で、原告に対し、昭和三七年一年間に、看板用板硝子を何回かに分けて売渡し、その代金として合計八万五、〇〇〇円を受領しているというのであるが、同証言は、一方では、昭和四〇年当時右甲第六号証の証明書は、売上帳に基づいて作成したといいながら、他方昭和四一年関東信越国税局の係官か同人方へ調査に赴いた際には、右帳簿は既になく、また、帳簿は、集金の都合上月末の集金が終るまで取つておくだけであつて、それ以後の保管には、意を用いていないとの趣旨の証言をしているのであつて、本件記載上明らかなとおり、原告は、昭和四一年六月五日付準備書面では、右仕入額は、一万九、〇〇〇円であると主張し、その後同年一一月三〇日付準備書面において、八万九、〇〇〇円と増額訂正をしていることからしても、右売上帳なる帳簿が存在したか否か、更には、右八万九、〇〇〇円がこれを基にして算出されたものであるかどうか否かは甚だ疑わしく、右各証拠は、信用することができないものというべきである。

そうすると、他に原告主張のような飯島硝子店からの仕入の事実を認めるに足りる証拠は存在しないから、原告の昭和三七年度における仕入額は、当事者間に争いのない八一万九、七四八円につきるものであるというべきである。

2  その他の必要経費

別表四記載の番号3ないし17欄記載の必要経費については当事者間に争いないか、外注工賃および雇人費について争いがあるので、以下順次検討する。

(一)  外注工賃

被告は、外注工賃は二万二、四一七円であつたと主張し、原告は、別表四、番号1欄(注2)に記載の者に対する外注工賃合計三七万二、五〇〇円があつたと抗争する。

右被告の主張については、これに副う証人武田文雄、同中野喜太郎、同宮川一雄、同藤沢実、同羽毛田茂八の各証言および右各証言によりそれぞれ真正に成立したと認める甲第一号証ないし第五号証が存在するが、右各証言によれば、右甲第一号証ないし第四号証の各証明書は、いずれも帳簿等の正確な記録にもとずくものでなく、本訴係属後に、原告の依頼に応じて、単なる記憶にのみによつて作成されたものであることが認められ、また、甲第五号証の証明書作成のもととされたメモ帳は、現に存在しないというのであるから、はたしてそのようなメモ帳が存在したかどうかも疑わしく(仮に、存在していたとするならば、既に本訴係属後のことではあり、羽毛田茂八は原告の実兄という身分関係にあるのであるから、本件立証のための資料として、原告においてこれを確保すべきが当然であると考えられよう)。これらの点を考慮すると右各証拠は、いずれも信用することができず、他に、原告主張の外注工賃支払いの事実を認めるに足りる証拠はないから、外注工賃は、当事者間に争いのない二万二、四一七円限度において認められるべきものであるといわざるを得ない。

(二)  雇人費

原告は、被告の主張する雇人費一八万八、五〇〇円を否認するが、原告本人尋問の結果によれば、原告は、昭和三七年度には、原告の兄弟の外二名の従業員を雇用していたことが認められるから、少くとも右一八万八、五〇〇円を下らない程度の賃金は支払つていたものと認めるべきであろう。

(三)  そうすると、仕入金以外のその他の必要経費は、被告主張のとおり、六六万二、八七一円であるということができる。

四、以上に判示したところから明らかなとおり、昭和三七年度における原告の所得金額は、売上金額二五二万三、〇〇九円と必要経費一四八万二、六二〇円との差額一〇四万〇、三八九円であるということとなり、本件各処分における課税標準額四四万四、四七八円を超えるものであることは明らかであるから、本件各処分には課税標準を誤つた違法はない。

五、そこで、次に、公権力の濫用の主張について判断する。

1  原告は、昭和三八年三月一五日、上田税務署の窓口で、受付席にいた同業係員福島滋陸、田口寛の両名から確定申告の必要がない旨申し渡されたので申告手続をしなかつたところ、本件各処分をなされるに至つた旨主張するが、原告本人尋問の結果以外には、これを認めるに足りる証拠はなく、右本人尋問の結果は、後掲各証拠に照らし信用できないから、右主張は採用できない。かえつて、証人田口寛、同福島滋隆、同高橋森の各証言によると、昭和三八年三月一四日、五日ころ、上田税務署に、上田民主商工会会員である原告ら一〇名前後の者が、集団で納税相談したい旨申し出たが、当時同署所得税第一係長であつた福島が、個別に納税相談を受けるよう指示し、内四、五人は相談を受けたが、原告は右納税相談を受けなかつたこと、また、原告の主張する田口寛は、上田税務署の用務員であり、単に納税相談の受付をするのみであつて、原告の納税相談に応じたことはなく、右福島も窓口において原告の納税相談には応じたことはないこと、その後昭和三七年度分所得税の確定申告期限後である昭和三八年四月上旬に至り、申告審理をしている際に、偶々原告が右申告をしていない事実が発見され、原告が昭和三六年度においては確定申告しており、その営業規模からしても、一応課税の対象になるのではないかと推測されたため、被告は、その後の調査をした結果、本件各処分をなすに至つたことを認めることができるから、この限りにおいては、本件各処分手続に格別の違法な点は見出し難い。

また、原告が、上田民主商工会員であることの故をもつて、威嚇或いは報復の措置として、本件各処分を行なつたとの事実を認めるに足りる証拠は全くなく、原告の昭和三七年度の所得額が一〇四万〇、三八九円であることは前記認定のとおりであつて、決して僅少な額とはいい得ないから、右原告の公権力の濫用の主張はいずれにしても失当というほかはない。

2  なお、原告は、被告が客観的かつ明確な根拠なくして、本件各処分をなし、また、その後の調査の結果判明したとして、所得原因を変更する等本来許すべからざる公権力の濫用をなしていると主張するので、以下にこの点について判断を加える。

被告が、本件各処分時に認定した所得原因の一部を、その後変更または撤回し、本訴提起後、新たな所得原因を追加したことについては当事者間に争いのないところであるか、証人高橋森、同小林昭次の各証言および弁論の全趣旨によると、本件各処分をなすにあたり、上田税務署においては、所得税第一係員の高標森がその調査に当り、当初は、実額調査を行なつたが、その際、原告に帳簿書類等の提示を求めるのも、作成していないと言つて提示しなかつたので、已むなく推計調査をすることとし、原告の材料の仕入先に赴くなどして、取引内容を調査した結果算出した仕入れ材料の量から、その使用材料を推計し、これから更に売上金額を推定して算出した金額から原材料費を差引き、特別経費の内、雇人費、家賃、減価償却費など原告の申立てたものはそのまま採用し、他に推定経費を算出して所得金額を算定したこと、右の方法による推計の他にも、確認推計計算、および日当計算で推計するなどの方法をもつて所得金額を推計算定したが、その結果は、右仕入材料の量から推計した所得金額と大差がなかつたので、それに従つて本件各処分を行なつたこと、その後、原告から被告に対し、異議申立がなされたので、更に調査をすることとし、原告に資料の提供を求めたが、その協力を得られず、提出もされなかつたので、原告の取引金融機関である長野県商工信用組合上田支店などで銀行調査を行ない、売上先或いは仕入先を調べ、それに基いて反面調査を行なつて売上金額、或いは、仕入金額を算出し、外注工賃等の必要経費については、原告の申し出に応じて反面調査を行なつてそれぞれこれを認定し、更に本訴提起後も、調査を継続し、その調査の過程において、先に認定した事実の誤りを発見する等して、前記のような所得原因の一部を変更、撤回、追加等をなす結果となつたものであることを認めることができ、外に右認定を左右するに足りる証拠はない。

右のように、納税義務者が、税務官署の係官からの要請に応じて、課税根拠の調査資料となる帳簿書類等を一切提出せず、或いは、提出しえないような場合においては、その所得額を決定するに当り、推計の方法を用いることは、已むを得ざることといわざるを得ず、また前記認定のような推計の方法は一応合理的なものと認めるのが相当である。

また、本件各処分後、所得原因を一部変更、撤回、追加して主張したのは、右推計による課税処分をした後の調査の結果、更に確実な事実が判明したことによるものであつて、前記のような事情からすると、已むを得ざる措置というべきであり、更に、本訴における審理の対象は、被告が本件各処分によつて認定した課税標準額の存否そのものであるから、右課税標準額の存在を主張する被告としては、その根拠として、本訴係属後においても、他の所得原因を追加して主張することは許されるものというべきである。

従つて、この点についての原告の、公権力濫用の主張もまた失当といわざるをえない。

六、そうすると、本件所得税決定処分には、原告主張の如き違法の存しないことは明らかであるから、同処分は適法であり、原告が、確定申告をする義務のある場合であるのに、右義務を怠つて確定申告をしなかつたことは前記認定のとおりであるから、右納付すべき税額に、国税通則法第六六条、九一条に則り、一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した四、〇〇〇円を課した無申告加算税の賦課決定処分も適法である。

七、よつて、原告の本訴請求は、いずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 西山俊彦 裁判官 落合威 裁判官 松山恒昭)

別表一、(売上総額、必要経費総額、所得金額)

〈省略〉

別表二、(売上内訳)

〈省略〉

(注1) 一九〇、八三〇円の内訳は、昭和三七年五月三一日領収したという一九〇、〇〇〇円および同年八月三日領収したという八三〇円。

(注2) 一〇五、五〇〇円の内訳は、昭和三七年一二月三一日に領収したという五三、〇〇〇円および同年一一月請求し翌三八年一月三一日領収したという五二、五〇〇円。

別表三、(仕入内訳)

〈省略〉

別表四、(別表三、以外の必要経費内訳)

〈省略〉

(注1) 富国木材の仕入金額の五〇%相当額を大工の年間賃として算定したものである。

(注2) 三七二、五〇〇円の内訳は、次のとおりである。

(1) 武田工芸社 二〇、〇〇〇

(2) 中野喜太郎 四五、〇〇〇

(3) 宮川一雄 三〇、〇〇〇

(4) 藤沢実 四三、〇〇〇

(5) 羽毛田茂八 二三四、五〇〇

別表五、

〈省略〉

(但し、各表中、金額の単位は円である。)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例